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新車24ヶ月点検 [クルマ]

PEUGEOT 508SWを購入して、2年。
24ヶ月点検を受けて来ました。

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購入してから最近までカヤックを載せたことがなく漕ぎに行くことがありませんでした。
今のようにFreeになっても緊急事態宣言下で県境を跨げない。
また、いつもの御殿場の買い物も出来ず、距離を稼げない。

508以前は、年間12,000km程度乗っていたのですが、ここ2年は年間4,000kmも走っていない。
当然、不具合などあろうはずがない。

なので、12ヶ月点検も24ヶ月点検もオイル交換とオイルフィルター交換、その他、法定点検のみ。

しかも、新車購入時のキャンペーンで5年間の法定点検とオイル、オイルフィエルターは年2回までは無料。
走行距離が短いことが幸いして、ディーラーにここ2年点検費用を払ってません。

点検終了後、内容説明を受けたのですが
「タイヤもブレーキパッドも減ってませんね。」
「ブレーキパッドは、この調子だと10年は持つんでは?」
と言われました。

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そう言われた、私は特に驚くこともありませんでした。
だって、以前乗っていたPEUGEOT 407SWのときも、8年間9万km走ってブレーキパッドは交換しませんでした。
当時の担当メカニックからはこんな人みたことないと!と言われてました。

というようなとても、穏やかで大人しい安全運転をしているんです、私は。
本当は低ダスト・パッドに買えたいんだけど・・・


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藤原儀彦 [バイク]

508の24ヶ月点検にディーラーに出向いた際に、407SWを購入して以来、30年のお付き合いのマネージャーとお話させてもらっていたときに、PSAグループもトヨタと同じようにコンピュータチップの不足で今後、2ヶ月程度日本には配車がないということを知り、私も最近、バイクを購入してETCをつけようとしたら2.0がなくて1.0にした事を話すと、車用も同じで1年半以上2.0は入っていないし、生産ラインは1.0だけだということでした。

そこで話が変わって、「リターン・ライダーですか」ってこういことから、私も実はバイクのほうが好きなんですよ。
「私の親戚に藤原っていう元ヤマハのライダーが居るもんで・・・」
エッ!あの鈴鹿8耐のTECH21の時代の藤原さんですか?
っていうことで、話が盛り上がったところ、メカのフロントの人が見えて話は中止に
なんとなくお名前は覚えていたのですが、すでにバイクを降りて久しかったのでその頃のことはうる覚えで
この頃、映画【汚れた英雄】で主役の草刈正雄のレースシーンでの代役として平忠彦が一般のメディアにも登場するようになり、それで私もちょこちょこバイクの記事を見ていました。
映画も見に行ってしまいました。
でも、感想は言わないことにします、木の実ナナか・・・・
レースシーンも多いと思ってたのにな・・・
あっ、思わず語りそうになってしまった。

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この後、三船敏郎が出ていた【グランプリ】を見てしまった。
ジム・クラーク、グラハム・ヒル格好良かった!!
もちろんレースシーンも最高!!
父親が連れてってくれてテアトル東京で観て、初めての大画面に興奮しました。

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福島弁でしゃべる平忠彦のことはよく覚えていたのですが、藤原さん??
お名前は見た記憶は確かにあるのですが

調べたら平忠彦が全日本の最高峰の500ccクラスで3連覇した後、3連覇したのは、藤原儀彦さんでした。

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やっぱり速い人はカッコいいね!!

https://race.yamaha-motor.co.jp/sp/2014mfjgp/topic/2014/10/201410-4843.html

また、コロナが落ち着いたらゆっくりお話を聞きたいものです。
マネージャーさんのバイク遍歴など


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DS3 CROSSEBACK E TENSE [クルマ]

昨日は愛車 508 SWの24ヶ月点検でプジョー厚木を訪れました。
新車契約時にキャンペーンでメンテナンス契約に入れたので、今回の点検、及びオイル、オイルフィルター台はただです。
なので、調子に乗って他の調整もお願いしましたので、普段よりはちょっと時間が掛かることに。

なので代車を出していただきました。
で、持ってこられたのが、100%電気の【DS3 CROSSEBACK E TENSE】
電気自動車は自分の生活の中では関係ない!ということで試乗もしてこなかったので初めての乗車です。

乗って驚いたのがちゃんとクリープする。
モーターだし、変速機もないのでクリープするとは思っていませんでした。
ところがどっこい、渋滞路ではクリープしないと大変だとわかり、やるな!DSって感じ。

次に音ですが、しませんね。
でも、別に驚きませんでした。
と、いうのは普段、乗っている508も遮音が効いているのでほとんど音がせず、タイヤのロードノイズとルーフキャリアの風切り音くらい。
という意味ではロードノイズが聞こえるのは私には日常。

驚いたのがブレーキ
まずは普通に運転しようと思ったのでドライブモードはDのままにしてあったのですが、アクセルを離したときの減速が効く!
それ以上にブレーキペダルを踏んだときに軽いブレーキングでガツンと効いてびっくり。
よく聞くと電気的なキュイーンという回生音がしていて、これの効きがチョット効かせ過ぎと思える味付けで、以後はちょんと足を載せるだけでOK

次に驚いたのがコーナリング
これはよく聞く重いバッテリーを床に積んでいる電気自動車はコーナリングが良い!ということを実感しました。
DS3は基本SUVボディーのちょっと背の高いものでコーナリングは不得意、去年、12ヶ月点検で借りたプジョー 2008も重心の高さを感じましたが、あに図らんや、最初の信号を右折した瞬間にびっくり、ロールしないでソフトな足のまま曲がったじゃないですか、
アンダーステアなんて言葉を忘れるくらいニュートラステアで
本当?と思ってコーナーごとに試すのですが同じ。

それを確かめるためにいつもの丹沢湖の山道に行ってしまいました。
いつもはブレーキングするかどうか迷うくらいのスピード出入りハンドルを切ると何事もなかったようにすっと回れる、本当かよ!!

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丹沢湖の帰りのトンネルを出てからの急勾配もギアダウンできないしな?などと思っていたが、ただ、アクセルから足を離すだけど普通に降ってしまいました。
いつもなら3速まで落とすのにな。

国道246号は先日の大雨の後遺症で片側通行の場所があり大渋滞。
でも、電気自動車ってストレスフリー。
なんか楽なんだよね。

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価格の高さ、出先での充電問題がなくなれば、良い選択肢かも?

で、家に買えるとディーラーから電話で予定より作業が早く終わりましたとのこと。
2日の予定が1日になりましたが、十分、電気自動車を楽しむことができました。

で、早速、自分の車に乗り換えて帰宅となったのですが、なんと508の素晴らしいことよ!!
改めて再確認しました。

あんなに良いと思っていたEVのコーナリング、508のほうが全然、良いじゃない。
よく考えたらEVのコーナリングはゲーム機の感覚で、508はハンドルレスポンスが伴ったもので楽しい。
初めて508に試乗した際、プジョー小田原の裏山の峠で楽し過ぎてハンドル叩いて喜んだのを思い出しました。
ということは、これはDSとプジョーの差かな
となると208のEV e 208に乗ってみたいな。
でも、そいつは麻薬かもしれないな、予想としてはゴーカート!

というとても楽しい1日を無料で過ごすことが出来ました。


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イナゴと蜂の子 [バイク]

最近、私がトライアンフを買ったので昔の同僚からツーリングのお誘いがありました。
すごく良いところがあり、再訪したいとのことでした。

早速、Google Mapで場所を確認。
そこは私が一度、行くことを諦めた場所でした。
農村歌舞伎で有名な大鹿村のあたりらしいのですが、40年以上前に実はここを目指したことがありました。

このころ大学の研究室のアシスタントをしていてその研究室の研修旅行で松本に行き、松本家具やオリンパスの見学を終え本来の目的?の宿に入った際の夕食の馬刺しの味が忘れられず、自分のお金で馬刺しを食べようと、伊那を目指したのです。
ところが大学の教授たちが食す料理のおこぼれを頂いた身としては、自分のお金で買った馬刺しにびっくり、なぜ、こんなに硬い!!

マッ、これはこれでいいとして、では近くにある【花の高遠】に行こうと思い行ったのですがかなり想像していたよりコンパクトな街ですぐに町中を通り過ぎてしまい、ダム湖まで着いてしまいました。
そこで地図を広げると、そう、携帯もWebもナビもない時代。
その国道を南下すると浜松に出れそうだ。
ということで進んでいったのですが、あまりにも道の脇の崖が砕いた岩石をただ積み上げただけと行った風情で、恐怖におののき、すごすごと退散したのですが、その道が国道152号だったのです。

そして、この国道に関しても前日、紹介したYouTuberによって紹介されていました。
行かなくて良かった!!!!!
ってことで

https://www.youtube.com/watch?v=7tjDx-49RLo&t=44s

あっ、タイトルは?って思われた方、それは高遠で買ったお土産です。
我が家も山に囲まれた盆地なので、小学生の頃はイナゴの佃煮、蜂の子の炒めものは時々、食べていました。
イナゴは取ったりもらったり、蜂の子は自分で取りました。

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カヤック・レースで出会った道 [クルマ]

40歳を超えてからカヌーに出会い、それからカヤック・レースにハマりましたが、それが縁で色々なところに出向きました。

初めは、琵琶湖でしたが、ここまではほぼ400kmとそれほど遠くなく、ほとんどが東名・名神という高速道路なので楽しく往復することができました。
伊勢海老マラソンと銘打った五ヶ所湾も東名と伊勢湾岸道路、伊勢自動車道で割と楽に、といっても昔の四日市周辺の渋滞は物凄く疲れた体には堪えました、その後の名古屋港の出入り口の上を通る伊勢湾岸道の横風もしびれました。
会社の仲間には正月休みに三重の実家に帰る際に一車線分飛ばされたと言っていたほどの風が吹くんですよね。

でも、ここは考えようによっては豊橋から知多半島を南下して伊勢湾フェリーを利用したり、ルート選びも楽しめました。

ルート選びといえば能登島のレースも、大方の関東からの参加者は富山、金沢までは全線高速道路を利用していたようですが、私は松本から上高地に向かい安房トンネルを抜けスーパーカミオカンデで有名な神岡を通って富山に抜ける道を選んで通いました。
そう、今でも奥飛騨温泉郷から富山に掛けてはバイクで走りたいんですよね。

しかし、このルートの国道なのにトンネルに入るのに角度があり過ぎてトンネル内が見えず不注意に入ると前方から大型バスが進んできて急ブレーキをかけなければいけない場所があったり、トンネルの途中に道が分岐していたり、そのトンネル内は雨が降っていなくても年中ずぶ濡れだったりで、バイククラブのツーリングでは晴天なのになぜかドロドロの姿になり、となかなかトリッキーなのですが、そんな状況を説明してくれるYouTubeサイトを見つけてしましまいました。

https://www.youtube.com/watch?v=m6DSz4Wjgls

これを見てしまうと、更に怖い風景を思い出してしまいました。
梓川の昼なお暗い岩肌の岩盤が一部、ボロボロになって崩れ落ちている風景を。
改めてあの辺りは中央構造体の真っ只中で物凄い地球の力で岩盤が押し付けられているところなんですね、と再確認すると通るのが怖くなってきた。
っていうか、実際に走ると得体の知れない恐怖をずっと視覚で感じながら走るのは実感していました。

この自然の恐怖以外の恐怖といえば、奄美シーカヤックレースに車で参加した際に今はなくなってしまった奄美大島の名瀬から大阪南港までフェリーで行き、大阪市内を抜けた後、奈良の天理から名阪国道を利用したのですが、この道のことは薄っすらしか聞いておらず走ったのですが、怖かった。
というのも国道というからには道路標識は60km/h制限。
ところが走っている車はどれも80km/h以上というかそれ以上
道は直線、しかも数は少ないが信号もある。
なにが恐怖かといえば、白黒の車、もしくは白いオートバイ。

この道、神経がやられる。
https://www.youtube.com/watch?v=Z_A4gTxnp5g&t=0s


などなど、カヌーレースに参加するために走った道は忘れられないものが多いんです。




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天才とは [バイク]

昔みたテレビのバイク特集番組である日本のハードボイルド作家は、レース界の天才とは?と聞かれ
「通常の人間が持っている能力を100%発揮できないのに対して、天才と呼ばれる人はある種の能力が完全に抜け落ちた人だ。」
と説明したことが妙に腑に落ちました。

以下はある年のマン島TTレースですが、上記を実感できるものです。

https://www.youtube.com/watch?v=zwcqR-vO238

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このレースを初めて知ったのは小学生のころで、今は四輪のレースでチーム国光の監督である高橋国光がホンダの二輪の契約ライダーであった時代。
まだ、このマン島TTレースが二輪の世界GPとして行われていた時代。
高橋選手は転倒し入院、数カ月間意識が戻らなかったということで、今でも顔面に当時の傷を残しています。
その後、四輪のレースではスカイラインGTやNSXで輝かしい成績を残した高橋選手もこの事故後、二輪のレースでは結果を残せなかったようです。

マン島TTレースもあまりの死傷者の多さから参加者も減り、GP日程から外れる等でしたが、未だにレースを愛する人達に支えられて続いているということが驚きです。

レースの経験などない私ごときは上記の動画を見るだけで【狂気】そのものを感じてしまう。


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前輪荷重 [バイク]

酷暑からの停滞前線での雨、それもかなりの量。
こちらの地方でも昨日は大雨で丹沢湖カヌーマラソンが行われる丹沢湖周辺の山北町は凄かったようで、国道246も東名高速も通行止めになり逃げ場がない車の大渋滞になったようです。

自分もお盆期間ということで完全休み、取り残した草のことや長雨でだめになったであろうキュウリやトマトの後始末のことは忘れて・・・
となるといつものYouTube三昧。


トライアンフのYouTubeを見ていてある動画で気がついたことが
その動画がこれです。

https://www.youtube.com/watch?v=ykl3VoGrE6g

これはトライアンフの色々あるシリーズの中の【Modern Classics】と呼ばれるもののなかの【Speed Twin】というもののTriumphの公式な動画。
私が購入した【Speed Twin】は、【Street Twin】が900ccなのに対して1,200ccとなり、いろいろな部品がスペックアップされて、まるで目指した方向がことなるバイク。

でも、基本は私が50年前に乗っていた旧世代のトライアンフを彷彿されるバーチカルツイン エンジン。

私が初めてオートバイに興味を持ったのは、高校生になってバイクの免許が取れるようになってから。
それまでは四輪には興味はありましたおりmが、二輪はモーターショウに行ったついでに二輪ブースに立ち寄る程度、というか不良の乗るもの!と思ってました。
ところがどっこい、自分の誕生日に免許を取り、バイクに乗り始めると、もう四輪なんてバカバカしくて!っていう変わりようで、四輪の免許を取ったのは20歳になってから。

その頃といえば、二輪の世界GPで日本のホンダ、ヤマハ、スズキが大活躍している時代は終わり、徐々に日本メーカーがGPから撤退を始めていた時代でした。
その最盛期には50ccのホンダのGPマシンは前進16段変速を積んでいたとか、メカニックがピンセット片手に整備していたとか、興味津々の話題が語られていました。
同じ排気量ならパワーのある2サイクルエンジンのスズキでさえ12段変速であったことは確かなようです。
今では市販の4気筒250ccなら2万回転は回りますが、当時は、多分その半分程度だったのでは。
そんなバイク特有の世界に引き込まれていました。

そして、情報は少ないながら、YouTubeはもちろんパソコンやWebがない世界ですから専門誌に載る少ない写真を食い入るように見ていました。

そこにはMVアグスタの天才ジャコモ・アゴスティーニ、ホンダのマイク・ザ・バイクと言われていたマイク・ヘイリウッド、ヤマハのフィル・リード、スズキのアンシャイトなどの名選手のきれいなリーンウイズ走行写真がありました。
当時は皆、黒つなぎで、クロムウェルのハーフカップのヘルメットという出立ちで

よって私のなかに刷り込まれた美しいライディング フォームとはこの頃のスタイルなのです。
ホンダのレース感謝祭で昔のGPマシンに乗ったジョン・サーティースも綺麗なリーンウィズでした。

これは、当時のGPの最高クラス500での、MVとHONDAの戦いというより、アゴスティーニとヘイリウッドの一騎打ち。
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全クラス制覇を目指していたホンダはとうとう、500クラスというトップクラスでMV プラス アゴスティーニに勝てなかったんですよね。
その原因をヘイリウッドはホンダのフレームの弱さと言っていたようです。
当時はエンジン屋のホンダはフレーム軽視で有名でしたからね。

その後、ランディ・マモラで有名になったぶら下がりスタイルや今のマルケスのように前後輪ドリフトの肘摺りなどではなく、擦るのはつま先程度の奥ゆかしいライディング フォーム。
当然、今のStreet Twinを購入してからも昔を思い出し、美しいリーンウィズを目指していました。

ところがSpeed Twinに乗って登場した動画の主人公二人は完全に前輪荷重の新しいフォーム。
エッ!! Modern Classicシリーズの開発は前輪荷重前提でテストされていたの???

Street Twinに乗り始めて違和感を持っていたことがあります。
それは座る位置。
昔は後輪荷重でリアを安定させることが前提だったので腰は少し後ろに引いて乗車することが当たり前。
ところが、StreetTwinでそれをやるといつの間にかお尻がタンク直前にまで移動しているんです。
これは新車でまだ癖が付いていないから、程度に思っていたのですが、これは設計意図通りの前輪荷重のためのポジション?

これに関しては、どの雑誌の記事にも出ていませんが、私の勘違い?

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ヤマハのテストコース [地域]

といっても、袋井のテストコースではありません。

ですが、ヤマハの袋井のテストコースといって思い出すことは・・・
昔の人気番組【夜のヒットスタジオ】で小川知子が泣き崩れた、当時、トヨタの契約ドライバーだった福沢諭吉を曽祖父に持つ福澤幸雄が、開発中のトヨタ7で事故死したそのコースではありません。
私も生でこの番組を見ていて何がなんだか判らない状況でした。
また、数カ月後には同じくトヨタのレーサー河合稔が同じくトヨタ7で事故死したのも同じヤマハの袋井テストコースでした。
河合は『おー、モウレツ!!』で時の人になった小川ローザの恋人ということで当時、週刊誌は大騒ぎでした。

以上、3面記事でした。
当然、この度重なる事故によりトヨタ7の開発は中止されました。
この時期なのでお二人のレーサーのご冥福をお祈りしたいと思います。

でも、あえて言わせてもらうとこの頃のトヨタ、日産の争いはえげつなかった!
プリンスを吸収した日産が日本グランプリでR380で優勝すると、トヨタはなんと自社開発ではないシボレーの大排気量エンジンを搭載したGPマシンを開発。
それを見た日産も同じくシボレーエンジンで対抗!
しかも、当時、アメリカでセンセーショナルな登場をした怪鳥シャパラルと瓜二つの外観の巨大な可変スポイラー搭載のR381を開発と、なんでもありの醜い争いに。
誰しもがお前ら自動車メーカーとしてのプライドが無いのか!と突っ込みたくなる状況。
当時の富士スピードウェイには、高回転でブン回るクォーンという官能サウンドではなく、ドロドロとしたアメリカン・レーシングサウンドが鳴り響いていたのを思い出します。

ある意味、お二人はその犠牲者?
「隣のくるまが小さく見えます。」程度は可愛かったんですがね。

私が感受性豊かな?思春期に受けたショックから未だにトヨタに対しては避けてしまう傾向があります。
トヨタほどではないにしても、日産に対しても同じような感情が
ただし、ルーツにあるプリンスには憧れていた時代の記憶があるので・・・
我が家の初愛車が、スバル360というのもあるのですが、同じ中島飛行機から別れたプリンスには贔屓目があります。
また、ホンダは本社と実行部隊の意見の衝突で社長の押す空冷8気筒のF1マシンをフランスGPに強引に出場させドライバーが事故死と結末もあり、私の日本車嫌いが決定づけられました。
外車もいろいろありますが、遠いし言葉が違うので聞こえてこないのがいいですね。

そういう点から言えば、ヤマハは好きなメーカーです。
ホンダやスズキが二輪のGPから次々に撤退した時代以降もアマチュア用にレーシングマシンTD-1から始まるシリーズを供給し続けたからです。
よって、購入したバイクも、HS-1に始まり、順不同でRZ250、FZR250、SR500、SRX-6、FJ1000。
しかし、意外とお気に入りがなくSRX-6ぐらいかな。

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ヤマハのテストコースといえば、20歳台に在籍していたバイククラブの仲間が、ヤマハ発動機に入社して、初代TZR 250の開発の末席にいたようなのですが、開発メンバーもテストコースに出ることがあったようで、その時の話も聞いていました。
その仲間が、TZRでコースインすると、他のバイクもテストライダーによってテストされていたようなのですが、仲間がコーナーを必死になった抜けていると大外から被ってくるバイクがいて、そのバイクがアメリカンのビラーゴの1,000ccクラスでウォンブリングしながら抜いていったそうです。
想像しただけでもワクワクしますよね。

ド素人が、プロの土俵で走れるなんて!!
そいつは、2年卒業を遅らせてヤマハに入社したのですが、本望だったでしょうね。

でも、馬鹿なやつで、今、言われているあおり運転に対抗するんだと行ってバイクにロケット花火を仕込んでいて、そんな奴を懲らしめるんだと言っていましたが、あるクラブのミーティングの日に、「やっぱり、バイクはハエーよ!」「ロケット花火 撃ったら、すぐに花火に追いついて自分のところで爆発しやがんの。」だって

そんな彼が提案したクラブのツーリングがあり、一泊旅行でした。
私は参加できなかったのですが、参加したメンバー曰く、体が持たない!とのことでした。
コースは、ヤマハの公道テストコースで遠州 浜松から信州 伊那に至る道。
メンバー曰く、休みたくても信号はないし、トリッキーな道なので遅れると完全に逸れそうだし、店も家もないところが延々、続き、もうコーナーを見たくもなかったと。

そんなことを思い出し、ネットを探っていたら、こんなのに辿り着きました。

https://www.youtube.com/watch?v=5QItYqDv1i0




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恙無く [地域]

お盆の準備が完了し、新盆を迎えることができました。

今年のお盆は天候不順な故、13日のお盆の入りの前日、12日に墓参りを終え、新しい花と線香を供えておきました。

13日のお盆の入り当日は予報通り、朝から大振りの雨。
午後になり少し雨脚が途絶えたところを見計らい、玄関に新盆提灯を設置。
概略は前日、組み上げてあったので接着剤で固着されているのを確認して、最後の調整をして取り付け。

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次は、【辻】と呼ばれる砂盛りにご近所様が線香を手向けていただけるものを設置。

https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-91393.html

私が小学生の頃は、みんな近所の山に竹を取りに行って、竹を組み上げて作ったのですが、いつ頃か造り手がいなくなり、小さな木箱で済ますようになりました。
我が家でも一時期、ご近所のDIY好きのおじさんが作った木箱を使っていたのですが、そのおじさんが亡くなってから、あまりにも木箱そのものでは殺風景なので、ちょっと外側に細木を貼り付け工夫。
サイズも少し小ぶりにして、入る砂の量を少なくしました。

今年のように雨になると通常の砂では固まり、線香が立て難くなります。
そこで、昔から火山岩からできた黒砂を使っています。
これも昔は取りに行ったのですが・・・

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そうそう、昔は竹を井形に組んで辻を作っていたのであまり太い竹で組んでしまうと、間から砂がこぼれてしまうので、なるべく細い竹で組むのですが、そうすると使う竹の量が大変だし、作業が大変。
沢山の竹を潰さないように切らないと乾燥してくると竹が割れてしまうし、切った後も、竹に巻き付いた竹の葉をむしり取らないときれいな青竹の辻にならないので手を抜いたことが一目瞭然になってしまう。
それなのに、これを5段にもして自慢することをしていたんですよね。

これは市役所のホームページからの戴き物
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そして、最近では道端の竹やぶから取ってくると排気ガスで竹が汚れているので山の中に入らなければならず、完全に怪しい人になってしまいます。
昔は多くの人がやっていたことなのでなんともなかったんですがね。



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お盆 [地域]

例年やってくるお盆ですが、我が家は特別なお盆。
母親の新盆なので、いつもとちょっとだけ違う。

まずは、1週間ほど前に菩提寺で新盆供養。
そして、いつものお盆と準備が異なるのが、白い提灯を用意したこと。
なんでも初めて家に帰ってくるご先祖様を間違いなく家の中に向かい入れるための目印だとか

すべてAmazonで調達。
しかし、誤算がありました。
提灯を下げる金具を買ったのですが、届いてみるとこれは家の中の鴨居に引っ掛けるタイプでした。
我が家には鴨居なんてないし、室内用なので風が吹いた場合など考えれれていない設計。

これでは玄関先には出せない。
そこで、急遽、自作することに。
初めは、物置で見つけた角材の先に下げればいいや、と簡単に思っていたのですが、どう下げるの?

その先には、今年のお盆期間中は雨がちで風も吹くみたい。
となるとしっかりと下げてやらないと、お盆期間中に破れ提灯になってしまう。
といってもそこはいい加減な性格なのであまり深く考えず、最初に用意した角材に物置の中の端材をあてがって、ポンポンポンと制作。

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初めは植木鉢を逆さにして角材を挿すか!と思っていたのですが風が吹いたら・・・

ということで、玄関の引き戸の桟にリピートタイで固定することに。
ここまでは前日の作業。

今日はこれから、我が地方特有の辻と呼ぶ砂場を制作。
迎え火を焚いた後に、ご近所様がお線香を上げてくれるのを待ちます。

その前に、我が家では昔からお盆期間は仏壇から位牌を居間に移して、いつもより明るい場所に机を置き、仏具一式と供え物を置いきます。
もし、来客があってもこのほうが同じ場所で済むので対応が取り易く便利です、供物も多めに置けますしね。

でも、2月の命日からなんだかんだで色々ありましたが、一区切り。
といっても来年の1周忌まで喪中なんですね。


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